子供の頃の教育は本当に大事なものだと思います。
その幾つかのエピソードを映画ロッキーの挿入歌『Eye of The Tiger』に乗せてお送りします。
勝手に脳内で再生してください。
我輩がまだ小僧我輩だった時代、中学校で音楽のテストがありました。
小僧我輩の我輩は楽器というものがとんと苦手でしたが、中学校の音楽の時間では定期的にリコーダーのテストがありました。生徒ひとりひとりを前へと呼び出し、教師のピアノの伴奏に合わせて笛を吹くというものです。
教師が曲と共にテストの日を決めているにも関わらず、我輩の何事も後回し後回しの精神が災いし、リコーダーの練習をまったくしません。当然、テスト当日も、リコーダーからは気の抜けたメロディがピーヒョロロと流れるだけです。
しかし、これは我輩だけを責められることでしょうか?否!決して世界も世間も音楽の教師も我輩だけを責めることはできません。何が悪いかと問われれば、それは『教育』が悪いのです。
我輩の家では、夜中に笛を吹くと蛇が出る、というお婆ちゃんの知恵袋的な理由から夜にリコーダーの練習をするという行いが御法度だったのです。その御法度を施行したのは両親です。
いまだに我輩は、なぜ夜中に笛を吹くと蛇が出るのか、そして蛇が出たからって一体どうなるのかも分かりませんが、そういう教育を受けました。この時点で我輩にはリコーダーの練習という項目で他の生徒たちよりもかなりのアドバンテージを負っているわけです。
夕方や休日の昼に練習すればいいじゃないか!と思われる方もいると思いますが、それは暴論というものです。木を見て森を見ない理論、宇宙書割論、パンがなければケーキを食べればいいじゃない理論です。宇宙の調和を乱し、この世に無法と腐敗をもたらす論理だと断ずるに、些かの躊躇も禁じえません。
当然、音楽的素養もない練習もしていない小僧我輩は音楽の教師に諌められます。
なぜ練習をしてこないの?至極ごもっともです。ですが、いいですか、ですが、蛇が出るのです。夜中に笛を吹くと蛇が出るということを告げると、音楽の教師はクエスチョンマークを浮かべます。なんという教養のなさ!我輩は辟易します。いいですか、先生、いいですか、夜中に笛を吹くと蛇が出るんですよ!
だからそれは何なの?至極ごもっともです。言いたいことは分かります。ですが、そんなことは我輩にも分かりません。ただ、夜中に笛を吹くと蛇が出るということです。そしてきっと、夜中に笛を吹いても蛇はきっと出ないということも重々承知しています。分かっているんですよ、先生、そんな目で我輩を見ないで!我輩は可哀相じゃない!可哀相でもなければ、我輩の脳も神秘の異世界カルボナーラとリンクもしていない!
ただ、いいですか、いいですか、先生、夜中に笛を吹くと蛇が出るという理由で、めっちゃ親に怒られただけなんです。
いまだに夜中に口笛を吹いている奴などを見かけると「馬鹿な奴、蛇が出るのに」などと思います。しかし、これが教育です。洗脳ともいえるでしょう。近年、話題になってる他国からの敵対教育などや悪意の塊である他国の日本に対する教科書などを見るにつけて、幼年期の教育は恐ろしいものだと我輩しみじみ思うのです。一度植え付けられた価値観や教育はおいそれと抜けるものではありません。我輩に子供ができ、中学校でテストがあるという理由で夜中に笛を吹いていると、蛇が出るからやめなさい、と怒るかもしれません。怒らないにしろ、心の片隅にザザッと波が立つでしょう。罪悪感にも似た、このナニカ!それはとてもとても恐ろしく愚かで、またミラーな写し絵です。
他にも、夜中に蜘蛛を殺すな、夜中に爪を切るな、などの夜中限定エディションの御法度が我が家にはありました。それは今も我輩の心の中に根付いていて、夜中に部屋の中で小さな蜘蛛を見かけたりすると、ぐぬぬぬ、8時か…命拾いしたな、さあ、お逃げ、と蜘蛛を撃滅できない自分がいます。蜘蛛を夜中に殺してはいけない理由は分かりませんが、夜中に爪を切ってはいけない理由は、親の死に目に会えないということでした。しかし、繰り返し繰り返し、夜中に爪を切ることを諌められるうちに、夜中に爪を切れない体質になってしまいました。それも最近では克服しつつありますが、やはり心の中に波は立ちます。でもなあ、もう親元を離れてるし、親の死に目に会えない確率はすげー高い気もすんだけどなあ、とか思いつつ、母上ごめん!と何度も何度も謝りながら爪を切ります。
これは背負わなくてもいい罪悪感などではないかと最近は思います。問題が複雑化しますので、国際問題にまで言及しようと思いませんが、日本人が日本人に背負わなくていい罪悪感を背負わせるような教育に我輩は反対します。
ともあれ、今年の母の日には、何か買って送りますので、母上、今までありがとう。
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