たとえば、心霊スポットなどに行ったとして、その場で何も起こらず、何も見えなかったとします。
しかし、後日、大した怪我ではなくても転んで擦り傷を負い、持っていたホカ弁の中身がグチャグチャになったりした場合、我輩のような気にしすぎ、人に気を使いすぎ、それ即ち善人、という人間には「はっ!あのときの!」と、全然関係ない先日の心霊スポット巡りが頭をよぎるので、なるたけそういう心霊スポットのようなところには行きたくないと考えてしまうのです。
霊障と申しましょうか、そういうことが本当にあるかどうかは分かりませんが、冷静に考えれば、単に不注意と呼べるものや生きていれば往々に起こる不幸ですらも、あのときの心霊スポットで何か悪いザリガニの霊にでも取り憑かれたのではないか、と脳の片隅で結び付けてしまおうとするので始末に終えません。
霊的なものを何一つ信じていない人であっても、そういう気持ちがゼロとは思えないのです。そして、そういう人々の心の隙間に広がった畏れのような感情が、さらに心霊スポットに霊的な力(噂)を与えているのではないかと我輩は思うのです。噂が噂を呼び、その度に有象無象の怪奇現象(現実の体験談)を引き寄せるのではないでしょうか。
という具合にマジメに語ってみましたが、霊的な話ということで、今回は我輩の義理の弟の話をします。
いきなり霊とは一線を画す話になるかもしれませんが、我輩の妹と結婚した義理の弟はよくUFOを見るらしいのです。我輩はどこまで本気か分からないまま、ふんふん、それでそれで、と話を聞いていました。
いや、よく飛んでますよ、夜中でも昼間でも、とカロリーゼロといった語感で、当然のことのようにサラリと彼は言います。それでUFOってどんな形をしてるの?と聞くと、どんな形っていうか、俺が見るUFOは大体、列車の形をしています、と言うのです。列車?銀河鉄道の夜とかスリーナインみたいな?さすがに平常心というわけにはいかず、我輩は聞き返します。まあ、似たような感じですね。宮沢賢治も松本零士もあのUFOを見たからこそ、ああいう物語が書けたんじゃないかと俺は思うんですよ、とか一丁前な持論っぽい感じで私見を展開します。どこまでが夢か幻想か現実か分かりませんが、見える、という人を否定することはできません。
それが世にいう、マジの人、ということですね。
つい最近もドライブをしていて、林道のような場所に差しかかったとき、義理の弟が運転する車を路肩に止め、こう言いました。今、ピョンピョン飛び跳ねる緑色の妖精みたいな生き物がいた、と。我輩は、うるせえよ、と思いました。もうそういうメルヘンランドの話はいいんだよ、と思いました。そのあとで義理の弟は思い詰めたように、ちょっと探してきていいですか?と度肝を抜かれるようなことを言うのです。
あ、う、う、え、いいけど、と我輩は狼狽してしまいました。義理の弟は車を降りると茂みを分けたりしながら、ピョンピョン飛び跳ねる緑色の妖精みたいな生き物とやらを探し始めました。我輩はその様子を生温かい目で見守り続けました。
そうこうしていると――いました!いました!捕まえました!ほら!と、義理の弟はピョンピョン飛び跳ねる緑色の妖精みたいな生き物を我輩の眼前に突き出してきました、などということは起こらず、しょんぼりとした様子で「逃げられました」と車に戻ってきました。我輩は、逃げられました、という言葉のチョイスに恐怖を覚えました。見間違いとも勘違いとも何とも思っていないのだろうか、と。ピョンピョン飛び跳ねる緑色の妖精みたいな生き物がいたのは揺らぐことなく間違いのないことなのだけど、逃げられた、という意味ならば、これは怖い、と思ったのです。車の助手席に脱出用のボタンがあったなら、あらよっと!と感じで押していたであろうことは想像に難くありません。
我輩は数日前の日記で、マジの人とは友達になれない、と書きましたが、マジの人が家族の場合は、どうしたらいいのか、という複雑な問題を孕んでいると今改めて危機感を覚えました。マジの人を切り捨てるような社会はあってはならないと思います。かといって、いるわけないと思ってるのに一緒になって、ピョンピョン飛び跳ねる緑色の妖精みたいな生き物を探すことが優しさとも思えません。難しい問題です。
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